今までで一番良かった国は?どこの国がおすすめ?とよく聞かれるので、この機会に語ってみようと思う。「おすすめ」かどうかは別として何年経っても思い出が色あせることなく、心から行ってよかったと感じるのは、モロッコである。
初めて赤の他人と大喧嘩(3回も)したあの国にまた再び行きたいのである。体を持ち上げられ茂みに連れて行かれ、危うくレイプされそうになったあの国に。マリファナを売りつけられそうになったり、ヤギしかのぼれないような崖を登って絶景を見たり(本当に近くに大量のヤギがいた、そしてあのヤギの独特な目が私の目とあった瞬間の恐怖は忘れられない)、個人宅に招かれたり(招いてくれた彼はいいやつだったし、いろいろと貴重な経験させてもらった)「大好きだ、付き合ってくれ」と告白されて、良いところがあるといって連れていかれた先はそいつの実家で、しかも彼のお母さんもその気になっちゃってたり(いやいや一緒に夜景見ただけ、そして仲良くなった観光客を気軽に家に招く文化なのだろうか)なんともカオスな国だった。
誤解を招かぬよう断っておくと、おだやかでやさしいモロッコ人も多いし、のどかな町もある。基本的に身の危険を感じるような治安の悪さもない。おそらく友だちと一緒に王道観光地だけまわっていたらこんなことにはならないハズなのだけど、小柄な私がひとりで好奇心をフルに働かせながら歩きまわっていたらこうなることもある、という話なのだ。
何度もだまされ、本気で人のことが信用できなくなり、心が折れたし、何よりも孤独だった。人が信用できない怖さを身を以て体感した。悔しさと寂しさと切なさとやるせなさと、いろんな感情がこみあげてきた。外は真夏で40度近いのに冷房も扇風機もなく、乗客もギュウギュウ詰めで、おまけに、服やリュックに積もるほどの砂が上からバサっと降ってくるバスの中で、熱くなった目頭から大粒の涙がこぼれ落ちたことを今でも覚えている。普段めったに泣かないのに、ましてや人前でなんかぜったいに。
泣いたところを見られたのか、やさしいモロッコ人が声をかけてくれたけど、またナンパかよって思って突き返してしまった。そいつは本当はいいやつだったと後で知り、避けてしまったこと、助けようとしてくれたのに冷たい態度をとってしまったことを後悔している。やさしさを受け入れるには人への信用が欠かせないことを痛感した。
お金のやり取りはとにかく心理戦だった。彼らはもう「ガイドします」とは言ってこないのである。あからさまに営業をかけるなんてそんな非効率なことはしない。あの手この手と知恵をしぼり出して、気づいたらワナにはめられているという状況をつくり出すのだ。でも別に観光客をいじめようと思っているわけでも、ワナにはめてお金を吸い取ってやろうという下心があるわけでもない。(そういう人もいるけど)
あっちも生計を立てるために商売をしているわけで、モロッコを訪れたのはコロナ開けすぐだったから、収入減ってキツかっただろうし、こちらも学生だったから旅の資金が底を突きそうで必死だった。そんな2人が取引をして、合意が形成される。こんな経験は、すべてキレイに値札が貼られ、与えられた値段設定の中で生きる私にとって新鮮だった。
この世は、おもしろいことに、高く売りたい側と安く買いたい側の取引が成り立つわけで、それにはお互いが自分の持っているものと相手が持っているものの価値を対等と思う必要がある。そこで大切だと感じたのは、自分の中できちんとモノサシを持っておくということだ。「自分は目の前のそのもの、こと、サービスにどれだけの対価を支払う?」その自分だけのモノサシを軸にいさぎよく意思疎通を図ることが現地人との交渉の成功の秘訣であると思っている。きちんと向き合って意思疎通を図ったことで売買によってお互いに幸せな気分になったことも、現地に慣れてきて正規の値段で平然とタクシーに乗れるようになったときの快感を覚えたときも、自分の中のモノサシをきちんと確立したときだった。これは、モロッコに限らず、別の国でも同じ。自分のモノサシは値札がついていない、料金がかかれていない、そんな場面で活躍する重要な指標である。ただ当てずっぽうに値切っても相手を傷つけるだけである。そして、別の店より高く買ってしまったときでも「あのタイミングで、あれに、あの値段の価値を私は感じ、それを手に入れた」と考えられるようになれば、心は楽である。あの時あの人から買ったその買い物体験でさえ、自分にしかできない体験であり、思い出に残っているものだ。いつも生活している日本では、昨日のことなのにどんな店員から買ったか思い出せない、なのに何年も前にマーケットで交渉をして買ったときのあの店員のことは鮮明に覚えている、そんなことがよくある。売買はコミュニケーション、まずは自分の意志を明確にする力を鍛えていきたい。
たっくさんのモロッコ人に助けてもらって、たっくさんのことを学ばせてもらって人間的に成長させてもらったモロッコ。人のやさしさ、人の欲望をこれほどまでに体全体で感じ取ったことははじめてだった。またあの人間味を全身で感じたいのである。全ては生身の人間と生身の人間のコミュニケーションで成り立つ世界。まだまだ未熟な21歳、そこでもがいた経験は私にとってかけがえのない宝物である。
大学生のうちにやっておくべきことは?と尋ねられたら、3大うざい国と言われるインド、モロッコ、エジプトのいずれかをひとりで旅するべきだと答えたい。その国への感じ方も旅の感想も十人十色だけど、行って後悔することはない。その後の人生をはるかにおもしろくするエッセンスが詰まっている。心底おすすめしたい。